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今の若い人には「ラ講」といっても分かってもらえませんね。
「らこう?」「何のことですか?」とひらがなで返されると今度は私が分かりません。
ウィキで調べたら1995年に番組が終わっていたんですね。
そうですね。
今はインターネットがあるからね。
本当に便利な世の中になったものです。
当時高校生だった私は朝5時から始まる短波放送で番組を聞いていました。
私の頃には共通1次試験がありましたが、
これもひょっとしたら死語かもしれない。
私の場合は高校生活の間に将来これになりたいという進路を決めることができませんでした。
ただ単に自分の住んでいるいなかから離れて東京のような都会に出て暮らしてみたいという
ばくぜんとした気持ちしかありませんでした。
だから現役合格できなくて浪人を決めたときにも田舎にはいたくなかったから、
読売新聞の新聞奨学生に応募して代ゼミに通うことにしました。
1年間新聞配達をすれば新聞社が全額立て替えて払った代ゼミの学費は返済しなくてもいい、という制度です。
高校も家の事情で日本育英会の奨学金をもらって通っていたから、
あの当時の私の頭では東京へ行く方法はこれしか思い浮かびませんでした。
代ゼミは国立文系コースにいたけれど、田舎の高校とは教え方がぜんぜん違う先生方がほとんどでした。
中でも金ピカ佐藤先生(英語)とか武井先生(世界史)の講義の雰囲気は今でも脳裏に焼きついています。
金ピカ佐藤先生の講義で英語についての苦手意識が完全に払拭されました。
英語は決して難しくない。
英語が公用語の国だったら当たり前のことですが、赤ん坊でもやくざ(マフィア)でも英語は話します。
そのことに気づかせてくれたのが金ピカ佐藤先生でした。
武井先生の世界史については、1コマ90分間、講釈師のようにひとりで話し続けるという独特な講義でした。
ひとつの国や地域から始まったささいな出来事がどのような経路で周辺諸国へ拡がり発展していくのか、
時間や空間を飛び越えてどのような形で後世の世界に影響を及ぼしていくのか、
そこから現代人は何を学べばよいのか、武井先生からは
世界史を理解するためのアプローチの方法を学んだような気がします。
私は結局大学には進学しないで新聞配達を専業もふくめて都合3年半やりましたが、
受験戦争の是非は別にして、受験勉強は無駄にはならなかったと思っています。
分からないことは自分が納得できるまで調べて、できるだけ明瞭簡潔な文章にまとめるという習慣が身につきました。
社会に出ても仕事を早く覚えるためには、知っている人からとにかく聞きまくる「なんでも教えて君」よりも
聞く前に少しだけ自分で予習して調べてから話を聞いた方が効率がいい場合も多いものです。
あれから何年たったんだろう?
この時期になるといまだに当時のことが夢の中に出てきたりもしますが、まだぼけるには早すぎますね。
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プロフィール
その影響でアジアの人たち(特に中国と韓国)の思考方法を理解するつもりで、ネットでいろんな情報を集めるようになりました。
2012年からは休耕田を借りて新規就農しました。
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