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昔社民党が日本社会党だったころに政権を獲ったことがありました
(1994年~1995年、自社さ連立政権)。総理は村山富市社会党委員長。
そのときに起きた日本を揺るがす大事件は阪神大震災と地下鉄サリン事件です。
私はその当時は東京にある自衛隊にいました。
正直村山総理の所信表明演説での「自衛隊合憲、日米安保堅持」発言には耳を疑ったものです。
こんなに簡単に変えてもいいものなのかと。

翌年の正月に阪神大震災が起きました。
私は駐屯地内の営内隊舎で寝起きしていましたが、
朝一番のTVのニュース番組で流れた阪神高速が倒壊している映像をみて
東京の部隊にも災害派遣出動が必ずかかると確信していました。
それは私だけでなく全ての幹部曹士が直感したことです。
なぜか?
当時の自衛隊はロシアからの攻撃に備えて北海道重視の防衛体制を敷いていて
関西地区には人も物資も十分に配備していなかったからです。
どう考えても関西の部隊だけでは対応しきれません。
地震の被害状況についても防衛庁の専用の基地回線で詳細に入ってきたので
緊急性を要するものであることも把握していました。
それで災害出動準備命令が防衛庁から出されて直ちに行動に移しました。
正月休暇中の仲間を帰隊させる連絡をしたり
災害派遣用で必要な荷物の積み込みをする作業をすぐに開始しました。
これは準備のための命令は自治体から出動の要請が正式になくても防衛庁内で出せるためです。
またそうしておかないと出動要請がきたときにすぐに出動できなくなります。
8時すぎには出動準備は完了していたと記憶しています。
ここからは災害出動待機命令になります。
出動命令が出たらいつでも出て行けるように待機しているわけです。
東京の部隊では関東大震災の教訓から毎年自治体と合同で訓練をしています。
ですから地震が起きてからすぐに出動準備を整えて訓練に参加することには慣れていましたが、
関西の自治体からの出動要請がくるまでひたすら待機をしているという経験は初めてでした。
待つということはこんなに長いものなんですね。
待っている間にもTVの報道では亡くなられた方の人数が増えていきます。
正式に出動要請がかかって駐屯地を出たのが午後になってからです。
東名ー名神高速と警察の方の先導を受けながら関西の駐屯地のグランドに入ったのは深夜遅くでした。
そのまま天幕露営の準備と救助のための行動に移りました。
私は直接被災現場には行かずに出動する隊員のサポートを担当する管理要員として
ずっと勤務していました。
現場の最前線に出てしまうと逆に情報が限られたものになってしまいます。
今のような携帯電話を使ってインターネットで簡単に情報を入手できた時代ではありませんでした。
食事のときは駐屯地の食堂を利用できましたが
そのときに食堂に置いてあるTVのニュースが唯一の情報源でした。
一般の人の方がリアルタイムで多くの情報を入手していたと思います。
私の所属していた部隊は救援物資の輸送を担当していました。
被災現場で活動した隊員は1ヶ月で交代しましたが、
私の場合は管理要員ということで引き続き勤務していました。
撤収命令が出たのは3月半ばですから約2ヶ月の間に出動していたことになります。
一度だけ、一度だけ3月に入ってから撤収することが決まったあとで
各地に点在している避難場所へ救援物資を輸送する助手として
トラックに同乗したことがありますが、それ以外は駐屯地の中にいました。

東京に帰ってから改めて震災についての報道にふれていろいろ考えることがありましたし、
そのあとの私の人生にも大きな影響を与えたんじゃないかと思います。
自衛隊の初動の遅れが被害が拡大した大きな原因だとマスコミから攻撃を受けましたが
そのことについてはここでは触れません。
けれども最近の鳩山民主党を見ているとあの当時の村山内閣とどういうわけかダブります。
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リネージュという韓流ゲームをしています。
その影響でアジアの人たち(特に中国と韓国)の思考方法を理解するつもりで、ネットでいろんな情報を集めるようになりました。
2012年からは休耕田を借りて新規就農しました。

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