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そんな歌があったような気がする・・・・・・・・
著作権がどうたらこうたら書いてあるからまずかったら削除します。

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あたり前のことだと思うけど、だます側の人間はだまされる側の気持ちなんかは
これっぽっちも考えていないと思うよ。そういうフリはするけどね。

私の父のヒロシさんか・・・・・・。

いろいろあったな・・・・・・・・・。

1.小さい頃に最初に電話のやりとりで覚えたことは「居留守」の方法。

家の黒電話がなっているのに父が出ようとしないで私に出ろという。
相手「ぼく、お父さんはいないの?いたら変わって」
 父(小声で)「いないと言え」
 私「お父さんは今お仕事に行ってて家にいないの」
 今になって思うとサラ金の取立ての電話だったかも。
 
2.小学校のときは休みの日に父はよく金沢競馬場や三国競艇場に連れて行ってくれた。
 
 私は遊び場で遊んでるだけ。父が何をしているのか分かってません。
 私にものごごろがついたころ母がぽつりと・・・・・。
「うちのお父ちゃんな。よく競馬場とか連れて行ってくれたでしょう」
「うちに帰ってくるといつも今日はこれだけ勝ったとか言ってな、
 おみやげ買ってきたりしてたけど
 あれな、本当はサラ金で金借りてきてたんや」

 なるほどそれであの電話になるわけだ!

 
3.中学校のとき自販機の業者さんがうちの前にジュースの自販機を置いてほしいときました。

そして補充用のジュースもケースごと置いていってくれました。
 
最初は父はこの自販機にお金を入れて飲んでいました。
やがて遊び友達がやってくるようになると、補充用に置いてあるケースからジュースを出してきては友達にごちそうするようになりました。
これってまずいよね?
自販機の売り上げを回収しに来た業者さんは売り上げが足りないから当然のごとく怒りました。

業者さん「お金はらってください」
父「今はない」
結局簡易裁判所へ訴えられて負けました(とうぜんか)
 
4.そんな父は町では「在所(ざいしょ)一番の遊び人」と呼ばれておりました。
 
仕事は自営業なのであるにはありましたが、仕事よりも仲間のつきあいの方が大事だといっている父だったので、青年団のまとめ役をやったり今でいうボランティア活動を好んでやっていました。
家の方は父のかせぎがほとんど当てにならないからとにかく貧乏。

 
5.小学校のころ「こども貯金」なるものがありました。「こども銀行」ともいいますね。
 
おこずかいを全部使わないで毎月いくらかの金額を郵便局で貯金するわけです。
これはこれでいいことだと思います。
それで私の父はお金に困ったときは「オレがやったこずかいだからオレのものだろ?」
私が小学校に行っているあいだに無断でおろして使ってましたね ヽ(`Д´)ノ
 
6.そんな父ですが、妹が結婚するときにはまじめに働くようになりました。
 
どうやら「在所(ざいしょ)一番の遊び人」では世間体がまずいらしい。
もっとも周囲は「あの遊び人がいつまでも続くはずがない」と冷ややかに見ていたようですが。
車も買い換えてましたね。中古だけど日産のセドリックに。
妹の結婚式の方は無事に終わりました。
 
7.その後しばらくしてから、やっぱりというか交通事故で働けなくなるアクシデントがおきました。
 
夜中に稲刈りの終わったあとの田んぼにハンドル操作を誤って突っ込んで怪我をしたという内容です。
原因は書かなくてもなんとなく分かります。信号など設置していない田舎の夜道だし。
心配して実家に駆けつけたら・・・・・・・毎日パチンコ屋に出勤しておりました_| ̄ |○
「けがで仕事ができんし、家にいても退屈だし。」
「そうそうパチンコ屋の店員さんと仲良くなったぞ。」
「当たりがそろうと、おめでとうございます!と言ってくれるぞ」
となにやら嬉しそう・・・・・・・。
もうなにも言うまい。心配するんじゃなかった。
 
8.それから数年後・・・・・母から電話がきて「いえが・・・・いえが・・・私のいえが・・・・」
 
わたし「ん? どうしたん?おやじ今度はなにをやらかしたの? 」
母 「いえが裁判所の競売(法律用語で「けいばい」と読みます)にかけられとる」
わたし「はああああああ?」電話では事情がよく分からなかったから実家に戻りました。
私がまだ小さい頃に父がやっていた事業の借金を今まで返済していなかった
(担保に家の権利書を渡しているのにもかかわらず)ので、しびれを切らした相手方が
競売にかけたと分かりました。相手方も完全に怒っていて慰謝料込みで5000万とか言ってるし。
いきなり言われても・・・・。で、どうすんの?ってどうなるわけでもなかったです。

競売の最低売却価格300万だったかな。
しかもこれって入札期間が決められていますね。
位牌に続いて先祖代々の土地と家もなくなりました。

在所の人たちもさすがにこれは気の毒だいうので土地を貸してくれました。
その上に平屋だけど新しく家を建てて今は暮らしてます。
家の費用は蕎麦屋で働いている弟が将来のれんわけをして独立するために貯めていたお金が使われました。
 
私の人生もいろいろありすぎたけど、父をみているとくよくよと心配しても始まらないと思います。

だって私の父は全部他人事だと思っているみたいだからね。

「人生七転び八起きや!いいときもあれば悪いときもある!」とかといった具合にさ。

自分の人生だから自分のやりたいように生きてみてもいいと思うよ。

その方がストレスをためずにすむし。

私の親父は自分のやりたいように生きてきたから、いまだにボケてもいないし元気だし。

私もそろそろ実家のある能登に帰った方がいいのかもしれないな。

家や土地はなくなったけれど、先祖代々のお墓がまだ残ってる。
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あることが原因で言志四録(げんししろく)を読んだことがありました。

小泉元総理が2001年の国会で『言志晩録』第60条の「三学戒」
少にして学べば、則ち壮にして為すことあり
壮にして学べば、則ち老いて衰えず
老いて学べば、則ち死して朽ちず」
を紹介するよりもずっと前のことです。

私の本名は私が3歳のときに他界した祖父が名づけてくれました。

私の父の名前が坦です。でも戸籍上の名前は坥(土へんに且。ユニコード5765)となっています。

この漢字が人名漢字表にも存在しないので便宜上「坦」という文字をあてています。
読みはたぶん当て字でしょう。坥(土へんに且。ユニコード5765)、これで「ひろし」と読ませていますが
ほとんどの人は「ひろし」と読めません。当然でしょうね。

この父の名前を名づけたのも祖父でした。

小さい頃から保護者らんに父の名前を書くたびにどうしてこんな変わった名前なんだろう?
と不思議に思っていたものです。
でも普通の漢和辞典にはこの漢字が載っていないので調べようがありませんでした。
高校に上がってから諸橋轍次(もろはし てつじ)博士の大漢和辞典の存在を知ったときに
初めてこの漢字の意味を知ることができました。
今となってはうろ覚えですが、たしか「みみずの糞(ふん)」という意味だったと思います。

祖父が父につけた坥(土へんに且。ユニコード5765)がきっかけで
東京の代ゼミ時代に講談社学術文庫の言志四録(げんししろく)という書物にたどりつきました。
この本の著作者は佐藤一斎(さとういっさい)という幕末期の儒学者ですが、
ウィキペディアでは諱(いみな)が担(てへんに旦)になっています。

福山誠之館(ふくやませいしかん)同窓会というウェブサイトの「誠之館と交流した人々」のページではhttp://wp1.fuchu.jp/~sei-dou/jinmeiroku/satou-issai/satou-issai.htm
江戸時代後期の儒者。初めの名は信行(のぶゆき)、通称幾久蔵。21歳の時、名を坦(たいら)通称を捨蔵に改めた。
となっています。 当時の私は坦(つちへんに旦)という漢字でみていたと思います。
この本は江戸時代に書かれているので、内容が現代の日本のIT社会では直接あてはまるわけではもちろんありません。けれども近代日本を作り上げた明治初期の政財界のリーダーの方々の間で愛読されていた座右の書でした。たぶんそれで私の祖父も佐藤一斎(さとういっさい)という儒学者のことを知っていたんでしょう。

はなしが少しそれますが、私の祖父が亡くなった当時の社会情勢は創価学会が公明党を立ち上げて大規模な布教活動(折伏大行進)をしていた時期にあたります。祖父は創価学会を大変嫌っていたそうです。

一方の祖母の方は祖父がなくなってから創価学会に入信したそうです。

そして当時の学会員の方がしていたように祖父の49日が終わる前に先祖代々の位牌を全て燃やしたそうです。ということで私の実家には先祖の位牌がありません。

私が記憶している祖母の姿(祖母も数年前に他界しました)は仏壇の置いてある部屋の上の方には池田大作名誉会長の写真を飾って朝と晩に勤行をしているものでした。いっぽう、祖父の遺影は仏壇のわきに隠して置いてあるような状態でした。このような祖母の影響で私の父以外の兄弟はほとんど創価学会員です。

もっともひとつの家の中にふたつの宗派があると家運が上がるはずがありませんね。

私の家の先祖代々の宗派は禅宗の一派である「曹洞宗」ですが、創価学会の信者の人にいわせると禅宗は頭を使う宗教だから脳溢血(のういっけつ)とかの頭の病気で死んだり基地外になったりするそうです。そういうふうに言われて私も創価学会に入信するようによく誘われました。しかし祖母の祖父にたいする(祖母からみて自分の夫)死んだあとの仕打ちを見聞きしていた私には創価学会に入信する気は東京に出てくるまでありませんでした。

東京にいた頃はいろいろな宗教の街頭活動をまじかに見れて研究するつもりで一時期入信したことがあります。今は脱退していてぜんぜん関係ありませんが、こういう創価学会から見て落伍者にあたる人への罵り方は「本当に宗教家なの?」と思うような感じらしいですね。

私の方は創価学会にたいする思い入れは全くありませんが、容姿に関係なく祖母のようなタイプの女性との結婚は遠慮したいという気持ちが本音です。

東京の世田谷区の環8沿いに今サイゼリヤになっているところに

昔1Fが日産のROKA23というショールームで

2Fにロイヤルホストが入っているお店がありました。

日産自動車が「ART  FORCE  SILVIA」というキャッチコピーでシルビアを出した当時の話です。

20090408-1-002.jpg20090408-1-001.jpg









私はそこにあるロイヤルホストでウェイターを2年やりました。

きっかけはちょうどその場所の裏手の川でいいのかな?

現在は遊歩道になっていますが、その暗渠(あんきょ)化の工事をするために

工事現場の警備員で2ヶ月ほどお店のそばで交通誘導をしていました。

月曜から土曜まで毎日交通誘導をしていたら自然とお店の方と仲良くなりました。

それで工事が完成したときにロイヤルホストの店長さんから

「うちで働かないか?」と声をかけてもらいました。

当時の私はまだ東京の生活に慣れていなくて外食もファミレスに行ったことはありません。

ご飯がライスになって、お茶碗がお皿になって、箸がフォークになった状態で食べたことももちろんありません。

だからこの機会にファミレスでの食事に慣れておくのもいい経験になるかも?と思って

そのままロイヤルホスト芦花公園店で働くことになりました。

中で働いている人たちに自己紹介をするときに「この前までそこの工事現場で交通誘導していたものですけど」

というと「本当に来ちゃったの^^」という反応ですぐになじめました。

入ってから知りましたが、ここのお店のある世田谷エリアの桜新町にはロイヤルの東京本社があります。

それと日産といっしょにお店を構えているということでサービスに力を入れていて売り上げは都内でも上位の方でした。

私が入った当時はまだ手書きの伝票でしばらくしたら今の端末に変わりましたね。

最初に「7ステップ」というマニュアルを使ってサービスの方法とメニューの書き方を覚えました。

私がマニュアルというものを目にしたのはこのときが最初です。

アルバイトさんの方は昔も人の出入りが激しかったから、ナイトで1年もいたらいつのまにか自分も古参の方になっていましたね。

しばらくするとバブルの後遺症で外食産業全体の売り上げが減少する事態になりました。

スカイラークがセルフサービス方式のガストを始めて低価格路線になったときに

ロイヤルホストでは価格はそのままでサービスをもっと良くして利益を出す戦略をとったと記憶しています。

これはある意味でサービスをする側から見れば大変なことでした。

お客様の要求にちょうどいいタイミングでサービスを提供しなければいけないから

常にお客様のテーブルの状態をみながら「お冷や」や「コーヒー」のお代わり、灰皿交換、

食事がすんだ食器の片付けその他を

他のお客様のテーブルも担当しながら(通常5~6テーブル)

オーダーを受けてからお帰りになるまでの間にすべてこなすので、

休憩時間以外はほとんど歩き回っていました。

お客様にテーブルについてもらってからメニューを手渡して

「お決まりになりましたらお呼びくださいませ」とマニュアルに書いてあるとおりに言ってましたが

実際はお客様が呼ぶ前に「お決まりになりましたか?」と席に伺っていましたね。

これもお客様の行動をみていれば自然とできる様になります。

注文する料理が決まった場合にお客様がとる行動としては

メニューをテーブルの上に閉じて置く。

ウェイターやウェイトレスを探すために店内を見渡す。

二人以上だと雑談を始める。

あたりが目安になります。

私は24時間営業の店だったから21時からナイトでINして次の日の10時くらいに

ランチの人が来るまで仕事をしていることは普通でした。

きつかったけれどお客様が満足するサービスというものがどういうものなのか知ることができる貴重な経験ができました。

大学進学は中堅私大クラスなら行こうと思えば行けました。

ただ進学するとなると学費が当然かかるし、あと4年間、新聞配達を続けるのか?

という迷いがありました。

まだまだ世の中はバブル景気です。

大学生が就職したい業界は証券業界が上位にランクインしていたと思います。

はっきりとした目的のなかった私は勉強よりもやっぱり遊びたかったですね。

でも大学行かないから田舎にもどりますというのも嫌だったので、

「石の上にも3年」というから3年間は新聞配達をしてみようと漠然と考えました。

専業になった私が東京で読売新聞を配達していた当時、

新宿アルタ付近の商店街をコスプレをして朝日新聞を配達している人がいました。

週刊誌やフジテレビの笑っていいとも!でも話題になったような記憶があります。

DJオズマ風アフロヘアでレオタード姿で肩からラジカセをぶら下げて(もちろん音楽を流してます)、

反対側には新聞を小脇に抱えて軽快に走リまわっていました。

アバターでイメージを再現しようと思ったけれど、肩から提げたラジカセが見つかりませんでした。

今はラジカセを持って新宿を闊歩(かっぽ)する人なんかいないから、やっぱり時代を感じます。

(↓:こんな感じだと思った。反対側の腕には新聞を抱えています)

20090228-1-001.jpg










 

今の若い人には「ラ講」といっても分かってもらえませんね。

「らこう?」「何のことですか?」とひらがなで返されると今度は私が分かりません。

ウィキで調べたら1995年に番組が終わっていたんですね。

そうですね。

今はインターネットがあるからね。

本当に便利な世の中になったものです。

当時高校生だった私は朝5時から始まる短波放送で番組を聞いていました。

私の頃には共通1次試験がありましたが、

これもひょっとしたら死語かもしれない。

私の場合は高校生活の間に将来これになりたいという進路を決めることができませんでした。

ただ単に自分の住んでいるいなかから離れて東京のような都会に出て暮らしてみたいという

ばくぜんとした気持ちしかありませんでした。

だから現役合格できなくて浪人を決めたときにも田舎にはいたくなかったから、

読売新聞の新聞奨学生に応募して代ゼミに通うことにしました。

1年間新聞配達をすれば新聞社が全額立て替えて払った代ゼミの学費は返済しなくてもいい、という制度です。

高校も家の事情で日本育英会の奨学金をもらって通っていたから、

あの当時の私の頭では東京へ行く方法はこれしか思い浮かびませんでした。

代ゼミは国立文系コースにいたけれど、田舎の高校とは教え方がぜんぜん違う先生方がほとんどでした。

中でも金ピカ佐藤先生(英語)とか武井先生(世界史)の講義の雰囲気は今でも脳裏に焼きついています。

金ピカ佐藤先生の講義で英語についての苦手意識が完全に払拭されました。

英語は決して難しくない。

英語が公用語の国だったら当たり前のことですが、赤ん坊でもやくざ(マフィア)でも英語は話します。

そのことに気づかせてくれたのが金ピカ佐藤先生でした。

武井先生の世界史については、1コマ90分間、講釈師のようにひとりで話し続けるという独特な講義でした。

ひとつの国や地域から始まったささいな出来事がどのような経路で周辺諸国へ拡がり発展していくのか、

時間や空間を飛び越えてどのような形で後世の世界に影響を及ぼしていくのか、

そこから現代人は何を学べばよいのか、武井先生からは

世界史を理解するためのアプローチの方法を学んだような気がします。

私は結局大学には進学しないで新聞配達を専業もふくめて都合3年半やりましたが、

受験戦争の是非は別にして、受験勉強は無駄にはならなかったと思っています。

分からないことは自分が納得できるまで調べて、できるだけ明瞭簡潔な文章にまとめるという習慣が身につきました。

社会に出ても仕事を早く覚えるためには、知っている人からとにかく聞きまくる「なんでも教えて君」よりも

聞く前に少しだけ自分で予習して調べてから話を聞いた方が効率がいい場合も多いものです。

あれから何年たったんだろう?

この時期になるといまだに当時のことが夢の中に出てきたりもしますが、まだぼけるには早すぎますね。

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プロフィール

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てんゆう(のり弁)
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性別:
男性
趣味:
ネットゲーム
自己紹介:
リネージュという韓流ゲームをしています。
その影響でアジアの人たち(特に中国と韓国)の思考方法を理解するつもりで、ネットでいろんな情報を集めるようになりました。
2012年からは休耕田を借りて新規就農しました。

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