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そんな歌があったような気がする・・・・・・・・
著作権がどうたらこうたら書いてあるからまずかったら削除します。

LinC2009-0622-1-0001.jpg










あたり前のことだと思うけど、だます側の人間はだまされる側の気持ちなんかは
これっぽっちも考えていないと思うよ。そういうフリはするけどね。

私の父のヒロシさんか・・・・・・。

いろいろあったな・・・・・・・・・。

1.小さい頃に最初に電話のやりとりで覚えたことは「居留守」の方法。

家の黒電話がなっているのに父が出ようとしないで私に出ろという。
相手「ぼく、お父さんはいないの?いたら変わって」
 父(小声で)「いないと言え」
 私「お父さんは今お仕事に行ってて家にいないの」
 今になって思うとサラ金の取立ての電話だったかも。
 
2.小学校のときは休みの日に父はよく金沢競馬場や三国競艇場に連れて行ってくれた。
 
 私は遊び場で遊んでるだけ。父が何をしているのか分かってません。
 私にものごごろがついたころ母がぽつりと・・・・・。
「うちのお父ちゃんな。よく競馬場とか連れて行ってくれたでしょう」
「うちに帰ってくるといつも今日はこれだけ勝ったとか言ってな、
 おみやげ買ってきたりしてたけど
 あれな、本当はサラ金で金借りてきてたんや」

 なるほどそれであの電話になるわけだ!

 
3.中学校のとき自販機の業者さんがうちの前にジュースの自販機を置いてほしいときました。

そして補充用のジュースもケースごと置いていってくれました。
 
最初は父はこの自販機にお金を入れて飲んでいました。
やがて遊び友達がやってくるようになると、補充用に置いてあるケースからジュースを出してきては友達にごちそうするようになりました。
これってまずいよね?
自販機の売り上げを回収しに来た業者さんは売り上げが足りないから当然のごとく怒りました。

業者さん「お金はらってください」
父「今はない」
結局簡易裁判所へ訴えられて負けました(とうぜんか)
 
4.そんな父は町では「在所(ざいしょ)一番の遊び人」と呼ばれておりました。
 
仕事は自営業なのであるにはありましたが、仕事よりも仲間のつきあいの方が大事だといっている父だったので、青年団のまとめ役をやったり今でいうボランティア活動を好んでやっていました。
家の方は父のかせぎがほとんど当てにならないからとにかく貧乏。

 
5.小学校のころ「こども貯金」なるものがありました。「こども銀行」ともいいますね。
 
おこずかいを全部使わないで毎月いくらかの金額を郵便局で貯金するわけです。
これはこれでいいことだと思います。
それで私の父はお金に困ったときは「オレがやったこずかいだからオレのものだろ?」
私が小学校に行っているあいだに無断でおろして使ってましたね ヽ(`Д´)ノ
 
6.そんな父ですが、妹が結婚するときにはまじめに働くようになりました。
 
どうやら「在所(ざいしょ)一番の遊び人」では世間体がまずいらしい。
もっとも周囲は「あの遊び人がいつまでも続くはずがない」と冷ややかに見ていたようですが。
車も買い換えてましたね。中古だけど日産のセドリックに。
妹の結婚式の方は無事に終わりました。
 
7.その後しばらくしてから、やっぱりというか交通事故で働けなくなるアクシデントがおきました。
 
夜中に稲刈りの終わったあとの田んぼにハンドル操作を誤って突っ込んで怪我をしたという内容です。
原因は書かなくてもなんとなく分かります。信号など設置していない田舎の夜道だし。
心配して実家に駆けつけたら・・・・・・・毎日パチンコ屋に出勤しておりました_| ̄ |○
「けがで仕事ができんし、家にいても退屈だし。」
「そうそうパチンコ屋の店員さんと仲良くなったぞ。」
「当たりがそろうと、おめでとうございます!と言ってくれるぞ」
となにやら嬉しそう・・・・・・・。
もうなにも言うまい。心配するんじゃなかった。
 
8.それから数年後・・・・・母から電話がきて「いえが・・・・いえが・・・私のいえが・・・・」
 
わたし「ん? どうしたん?おやじ今度はなにをやらかしたの? 」
母 「いえが裁判所の競売(法律用語で「けいばい」と読みます)にかけられとる」
わたし「はああああああ?」電話では事情がよく分からなかったから実家に戻りました。
私がまだ小さい頃に父がやっていた事業の借金を今まで返済していなかった
(担保に家の権利書を渡しているのにもかかわらず)ので、しびれを切らした相手方が
競売にかけたと分かりました。相手方も完全に怒っていて慰謝料込みで5000万とか言ってるし。
いきなり言われても・・・・。で、どうすんの?ってどうなるわけでもなかったです。

競売の最低売却価格300万だったかな。
しかもこれって入札期間が決められていますね。
位牌に続いて先祖代々の土地と家もなくなりました。

在所の人たちもさすがにこれは気の毒だいうので土地を貸してくれました。
その上に平屋だけど新しく家を建てて今は暮らしてます。
家の費用は蕎麦屋で働いている弟が将来のれんわけをして独立するために貯めていたお金が使われました。
 
私の人生もいろいろありすぎたけど、父をみているとくよくよと心配しても始まらないと思います。

だって私の父は全部他人事だと思っているみたいだからね。

「人生七転び八起きや!いいときもあれば悪いときもある!」とかといった具合にさ。

自分の人生だから自分のやりたいように生きてみてもいいと思うよ。

その方がストレスをためずにすむし。

私の親父は自分のやりたいように生きてきたから、いまだにボケてもいないし元気だし。

私もそろそろ実家のある能登に帰った方がいいのかもしれないな。

家や土地はなくなったけれど、先祖代々のお墓がまだ残ってる。
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リネージュという韓流ゲームをしています。
その影響でアジアの人たち(特に中国と韓国)の思考方法を理解するつもりで、ネットでいろんな情報を集めるようになりました。
2012年からは休耕田を借りて新規就農しました。

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